介護する日が来るとしても。それでも私は仕事を続けていたい。〜ひいじいちゃん、赤ちゃんになっちゃった〜

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※この記事は加筆しています。

世の中は、新型コロナウイルスの影響で、社会が激動の渦に巻き込まれましたが、ライター・O山の実家では、「介護」の問題に直面。 

急遽入院することになった祖父のお世話や入院までをサポートしてきましたが、その体験を通して改めて「仕事」が自分にとってどんなものなのかを考える良い機会になりました。

今回はその体験をみなさんにシェアしたいと思います。

身体を動かすことをやめた祖父。すると…。

祖父は1日10kmは自転車に乗っていたのではないだろうか…。 それが、ある時から出歩くのをためらい、身体を動かすことを怖がるように。 今までと同じように自転車を漕ぐと、途中で倒れる自分を想像するようになってしまったので、何をするのも二の足を踏むようになりました。元々頑固な性格なので、

「それだと身体が悪くなってしまうよ。」

という家族の訴えも虚しく、意地でも身体を動かさないようになり、祖父の身体は衰える一方でした。 それでも、雪の片付けや小屋の整理など家の周りのことはせっせとやっていましたが、90をすぎた頃から、少しずつ身の回りことができなくなりました。 

ついに身体を動かせなくなった祖父

去年の7月にも帰省をしており、その時は起き上がって、普通に会話ができていました。それから約7ヶ月経ってから再会した祖父は、ほとんど何もできない状態になっていました…。90を超えている祖母は老老介護ができるほどの気概はなく、ただオロオロするばかり。

できるだけ祖父に自分のことをは自分でやらせるようにしていたようですが…。 痩せ細った身体、床ずれができたお尻、汚れたオムツを自分で取り替えることもできないようでした。

汚れた身体をどうにかしようと祖父のオムツを外そうとしたのですが、なかなか自分の手が動かない。 子どものオムツ替えで慣れているし、大丈夫だと思っていたのに、躊躇してしまうんですよね。 

「私がオムツを替えてしまったら、祖父は祖父でなくなる」 

そんな感覚に陥ったのです。気持ちを切り替えて、なんとか交換できましたが、心臓はバクバクしていました…。 

「ひいじいちゃん、赤ちゃんになっちゃったの?」 

私がオムツを交換している姿を見て、息子が一言。 

「ひいじいちゃん、赤ちゃんになっちゃったの?」

 息子の言葉を聞いてビックリしたものの、その言葉は説得力がありました。 後日、民生委員(地域の住民の生活や福祉に関する相談や援助をする)とケアマネージャー(支援や介護を要する人のケアプランを作成し、家族や市町村などと連携を取る)の方と私、母とで話し合い。床ずれなどができている、起き上がれないなどの様子を見て、病院での診察が先決ということになり、慌ただしく病院へ連れられていくことになりました。 

ほとんど目も開けられないような状態でしたが、私と息子がそばにいるのがわかったようで、ニコッと微笑みながら、介護タクシーに乗せられて病院へと向かったのでした。この時は、胸にこみ上げるものがありました…。きっと、こういう瞬間があるからそして、祖父は床ずれや脱水症状を治療するため、そのまま入院することに。 

介護用品を含めた入院時の持ち物の多さに驚愕 

入院するために準備するものを手引きとして病院から渡されましたが、個人病院ということもあってか、用意するものが非常に多かったです。新たに買わなくてはならないものがほとんでした。バスタオルも大判のものを用意する必要があったし、できるだけ家で用意ができたらいいですが、持っていっても使えないということもありますので、介護用品を扱うお店で相談しながら揃えるのもいいかもしれません。 オムツに尿パッドをつける必要があり、紙オムツをひとつ購入したらO K!というものでもありませんでした。祖父が入院した病院では、排泄に関わるものは、

 ・テープタイプのオムツ 

・布団の上に敷くシートや排泄をケアするためのシート 

・オムツの交換時に使用するフラットシート 

・尿パッド(前にくっつくという理由で女性用を推奨されました。)

なんと 4種類も揃える必要がありました。赤ちゃんの息子を抱えながらオムツを買って帰るのですら、 「重いなあ、しんどいなあ」 と思っていたのに。大人の介護用品は一つひとつが重くて、一度に揃えることができませんでした。 これらの介護用品は母と私、息子で買い集めました。息子はカートを運ぶ係で、率先してカートを牽引。パジャマや下着も購入しないといけなかったので、その後に別のお店に行かないといけなかったにもかかわらず、息子は疲れたとも言わずにお付き合いをしてくれました。気分が落ち込んでしまいそうな介護用品の買い物も息子の活躍によって、私と母は心底癒されたのでした。 

 寝返りが打てなくなっていた祖父。最期は赤ちゃんに還っていくのか…。 

凛々しい祖父。こんなに精悍な男性も赤ちゃんのように…。  

入院した祖父を見舞いに行くと、そこには髪の毛が丸坊主になり、ヒゲも剃られてこざっぱりした状態でベッドで寝ていました。 気分良く寝ている、という感じでもなく、意識がそこにあるのかもわかりませんでした。祖父が寝返りを打ちたいけれど打てない様子を見て、息子が寝返りが打てない生後数ヶ月の時を思い出しました…。息子が祖父のことを赤ちゃんになってしまった、と言ったけれど、その通りだなと。95近くなっても病気をしたことがなく、入れ歯もない祖父は苦しみを感じることは少ないと思います。そして緩やかに、赤ちゃんのように何もできない状態に戻りながら死に近付いているのでしょう。 その姿を見ながら、これは数十年後の母の姿であり、私の姿である、とも感じました。寝て、次の日に天国に旅立つなんて、きっとまれ。 大抵の人は誕生と同じように、人の世話になって旅立つのだと思いました。 

ひとりで抱えず、周囲に助けを求める。その中で希望を見つけたい。 

今回、帰省のタイミングがあったので、私もケアマネージャー(支援や介護を要する人のケアプランを作成し、家族や市町村などと連携を取る)と民生委員(地域の住民の生活や福祉に関する相談や援助をする)のと母とで話すことができたので良かったと思います。 私も、自分の親や家族が介護をする必要になった時、必要になるものがわかり、心構えもできました。そして、これから自分の大切な家族を介護すべき時、決してひとりで抱え込まないようにしようと心に誓いました。黙って抱え込んでいても、誰かが気付いて助けてくれるわけではありませんし、高齢者がいるから民生委員やケアマネージャーさんが来るわけではありません。介護や支援が必要な人が身近にできた時、住んでいる地域の地方包括支援センター(介護を考えたときに相談する窓口)に、 

「これからどうやって介護をしていくべきか。」

ということ を、自分から伝えて相談する必要があります。

自分から調べる、そして助けを求める必要があるんです。

 在宅勤務が与えてくれた希望 

母は自宅介護をしている友人に自分が仕事を辞めて祖父母を看護した方がいいかもしれない、と相談した時に、 

「仕事を辞めるという選択は絶対しない方がいい。」 

と言われたそうです。 私も記事を作成、またはインタビューをしている時、祖父の現状を不安に思う気持ちが和らぎました。子どもの存在はもちろんですが、「仕事」が私を救ってくれたとも思います。 家族のすぐそばで仕事ができる「在宅勤務」のありがたさが身に染みました…。 

仕事をすることで社会と繋がり、自分の「誇り」や「居場所」を失わずに済むのではないかと思います。そして、それが自分自身の生きる希望になっているのではないでしょうか。

 社会から孤立しないことの大切さを弊社の市川も記事化しています。こちらも併せてご覧ください。

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